| アメリカロースクール日記 全14回 岡本亜紀子(American University, Washington College
of Law, LL.M. 在学中)
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| 第4回「私は、発展途上国出身だから」 |
| 「私は発展途上国出身だから」タイ出身のヌヌは、あっけらかんといった。 LL.M.の学生が2人以上集まれば必ず写真をとるというのが慣わしのようになっている昨今だが、そのときもたしかだれかの誕生日かなにかの集まりで集合写真をとる折、「私のカメラも」「僕のカメラも」とカメラマンのヌヌに全員のカメラが殺到し、最新式小型デジタルカメラをどう扱っていいのかわからない彼女がいいわけ半分、冗談半分でいったのが、冒頭のことばだった。 彼女のパーソナリティやユーモアのセンスのおかげでそこにいた全員がなんのためらいもなく大笑いできたのだが、よく考えると危ない笑いではあった。ここのLL.M.プログラムには世界60カ国以上から学生が集まっており、その多くがいわゆる「発展途上国」出身であるから、いった本人も特別意識もしていなかったとは思うが、こういう状況に入学当初は、よく戸惑いを覚えたものだった。 それは、「発展途上国」「先進国」の問題だけではない。あるものは、チベットからの難民、あるものは、紛争の絶えないイスラエル、中東の出身、そしてあるものは、同性愛者であったりする。そして、彼らは意外なほど気軽に、自分たちの抱える問題を語って聞かせてくれる。 初めは、どんな顔をして聞いていればいいのかよくわからずとまどっていたが、一学期が過ぎ、それも日常の一部となってくると、だんだん「深刻な」話題にもなれてくる。だからといって完璧に客観視できる問題ばかりではないが、それでも、以前よりは冷静に「深刻な」話題を聞けるようになったように思う。私自身、「先進国」出身という変な意識もなくなりつつあり、また、差別の多様性も知った。 話は変わるが、ロースクールには、LL.M.のほかに、ジュリス・ドクター・プログラム(JDプログラム)という、普通にアメリカで弁護士になるためのコースがある。 LL.M.の学生とJDの学生は同じロースクールの校舎のなかで共存してはいるけれど、どことなく雰囲気が違っている。いい意味でも悪い意味でもアメリカの競争社会のなかで生きぬこうと躍起になって勉強しているJDの学生は、何につけても厳しい。人から聞いた話だが、講義ノートを貸してもらうにも、自分のノートと引き換えでなくては、ちらっとも見せてくれないとか。自分のやっていることはなるべく隠しつつ、どうやって他人を出しぬくかをつねに考えている、といったらしかられるかもしれないが、そのくらいJDの学生は真剣に競争しているように思える。 では、LL.M.の学生に厳しさが欠けているかといえばもちろんそうではない。ただ、基本的に「外人」どおしであるLL.M.の学生は、とくに競争をする必要がないので、他人を牽制することなく自分のありのままを出し合っているように思う。 そしてそのありのままを出すことこそが、LL.M.で学ぶことの意味ではないかと最近思う。まったく異なった文化、国、歴史を背負っている学生が集まって、ごく自然に自分たちのことを語り合っている環境だからこそ、学べることがここにはあると。 ここのLL.M.を卒業するのに必要な要件は24単位と論文が2つ。先学期、すでにひとつ論文をかき終えている私は、もうひとつの題材を何にしようかと、春学期の初めのころ悩んでいた。私の専攻は一応、ビジネス法である。しかし、ただ、ビジネスの分野だけに注目して考えていてもリアリティがないのではないかという考えを持ち始めていた私は、あっさりと決められずにいた。 そして、しばらく考えた末、自然に「『私が先進国出身だから』考えなくてはいけない問題というのがあるのではないか?」と思えたとき、少しだけ、LL.M.の学生らしくなったような気がして誇らしかった。「深刻」な話題が自分のなかであたりまえに存在していることにたいする誇りだ。 結局、私の卒業論文の題名は「三峡ダム*建設に対する投資と、人権、環境保全に対する国、会社の責任」となった。 *現在、中国で建設中の巨大ダム。 |