| アメリカロースクール日記 全14回 岡本亜紀子(American University, Washington College
of Law, LL.M. 在学中)
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| 第11回「他をあたったほうが賢いわよ」 | ||
| 「他をあたったほうが賢いわよ」ワシントンDCにある某大手法律事務所の某女弁護士は、そう文末を結んで、1ヵ月間、気を持たせつづけた私の就職の話を白紙にもどした。 2001年8月、私は、ここのロースクールLL.M.を卒業した。クラスは、卒業するために必要十分な単位分(24単位)しか取らなかったため、最後まで、なんとなく心配ではあったが、幸いなにごとなくマスター・オブ・ローズ・イン・インターナショナル・リーガル・スタディズの学位(国際法律学修士)を得ることができた。 さて、このLL.M.を出たあとの卒業生の行く先であるが、もともと祖国で弁護士その他の職を持っている人たちは、またもとの巣にもどっていく。この帰国ラッシュが8月の終わりごろで、そのころは、毎日だれかのお別れパーティがあり、そして毎回だれかが大泣きして困ったものだった。 また、卒業後、新たに職を探す者ももちろんたくさんいる。そしてその職場は、例によって多様性を売りにしているLL.M.ならではの、「全世界規模」。各種多国籍企業、国際機関、地域機構、もちろん世界中のローファーム、各国裁判所等の政府機関などさまざまである。 なかでも、アメリカで取得した学位をより実のあるものにする意味で、ここアメリカに職を求める者は多い。そのような目的を持つ外国人卒業生は、まずOPT(オプショナル・プラクティカル・トレーニング)資格* を取得し、卒業から1年間、労働ビザなしでアメリカで働くことができる。私も、卒業後アメリカで働く目的で、OPT資格を取得し、春学期の終わりごろから、就職活動をはじめた口である。 その就職活動は、渡米以来、勉強と同じくらいの比重で人付き合いに力を注ぎ、あちらこちらで顔を売った成果か、親切な知り合いの弁護士から突然、話が舞い込み、あっけなく決まったように見えたのは意外にも、卒業直後の8月末だった。DC市街地にある大手ローファームで、日本企業をクライアントにもつアメリカ人弁護士のアシスタントとして、リサーチ、法律文書の作成などをする、というのが私がするはずだった仕事だ。待遇は、いわゆる正社員。アメリカでは自分で給料(年俸)額を交渉するのが基本。そのため、私程度の資格、経験ならこのくらいが妥当な線だから、このくらいの金額から交渉し始めるように、との指導までされた。 そのとんとん拍子の就職話はつまり、先のOPT資格期限を超えて、アメリカの地で働くという自分の将来を意味していた。仕事のあるところが私の住む場所だ、と頭では思っていたのだけれど、いざそれが異国の地かと思うと、えもいわれぬ緊張感が私を襲った。もちろん、家族や親しい人たちにも話さなくてはいけないし、理解もされたかった。自分の将来、自分のキャリア設計、その他さまざま考えなくてはいけないことを自分の頭のなかで整理し、自分もまわりの人も納得できる考えとしてまとめるために私は、先のローファームからぐずぐずしていると思われないであろうぎりぎりの時間を費やし、そして、そこで働いてみることに決めた。 8月末、就職の意志を担当のローヤーに伝え、あとは人事部の面接と形式どおりの試験を受けるだけとなった私は、ロースクールでお世話になった人たちや、まだワシントンDCに残っている同級生たちに会ったりして、就職までの短い休暇を楽しむ気持ちでいた。 この幸せな日々は、本当にあっけなく終わった。2001年9月11日。アメリカ史上に残る大惨事、いわゆる、ニューヨーク、ワシントン同時テロ事件が起こり、その日からアメリカは変わった。 この惨事が、現在も続いている戦争の発端となり、アメリカの雰囲気がどう変わったなどということは、私がここで話すことではない。ただ、テロとか戦争とかが、軍人でもなく、政治家でもない一人一人の生活にも翳を落とすということを、私はこの時期、この就職活動と同時進行で知った。 「他をあたったほうが賢いわよ」あの事件のあと数週間経った9月下旬のある日、さんざんせっついた挙句に送られてきた彼女からのメッセージには1ヶ月間、私を待たせたことについての謝罪の言葉は、どこにも見当たらなかった。 もちろん、この話がなくなったのは、単に私がそのローファームに合わないと1ヶ月後に判明したからなのかもしれない。ほかにすばらしい応募者があったのかもしれない。そして、そもそも、リジェクション・メッセージに謝罪の言葉なんていらないのかもしれない。しかし、現在のアメリカ社会が、その謝罪のないメッセージの醸し出していた暗く利己的な雰囲気と似てきていると感じてしまうのは、就職につまづいて落ちこんでいる私だけなのだろうか。
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